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東京地方裁判所 昭和50年(刑わ)5301号 判決

被告人 窪田十郎

昭七・二・一三生 無職

主文

被告人を懲役二年八月に処する。

未決勾留日数中七五〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は

第一  昭和四九年一一月一〇日ころ、神奈川県相模原郵便局管内の郵便ポストに神奈川県横浜市全国赤軍本部同志代表名義で法務大臣あてに刑務所における不法処遇の改善を要求し、もし右改善が出来なければ各刑務所の保安課・医務課庁舎所長官舎等を次々に爆破する旨記載した封書を投函し同月一二日ころ、東京都千代田区霞ヶ関一丁目一番一号法務省にこれを郵送したうえ、同月一三日ころ同所において同省矯正局総務課長米田昭に右封書を閲読させ、同日ころ同課長及び東京矯正管区長福原弘夫をして、同都葛飾区小菅一丁目三五番一〇号東京拘置所など一八刑務所において同所長林田亮ほか多数の刑務所職員らに対し右封書の内容を告知させ、もつて、他人の生体命身などに対し害を加うべきことをもつて脅迫し

第二  同五〇年五月一六日ころ、神奈川県鎌倉郵便局管内の郵便ポストに神奈川日本赤軍支部一同名義で同大臣あての前同趣旨の封書を投函し、同月二〇日ころ同省にこれを郵送し、同日ころ同所において前記米田総務課長に右封書を閲読させ、同月二二日ころ同課長及び東京矯正管区長橋本守をして前記東京拘置所など一八刑務所において同所長岩崎隆弥ほか多数の刑務所職員らに対し右封書の内容を告知させ、もつて他人の生命身体などに対し害を加うべきことをもつて脅迫し

第三  同三七年一〇月九日、東京地方裁判所八王子支部で、窃盗罪により懲役三年六月に、同四一年一一月二九日、甲府地方裁判所で、同罪により懲役四年に、同四六年八月二〇日、東京地方裁判所八王子支部で、常習累犯窃盗罪により懲役三年にそれぞれ処せられ、いづれも当時右各刑の執行を受けたものであるところ、さらに常習として、別表記載のとおり、同四九年九月二二日午前一時ころから同五〇年六月一八日午後一〇時三〇分ころまでの間、前後一五回に亘り、神奈川県足柄下郡湯河原町宮上六一三番地所在の旅館「美晴館」外一四か所において、須賀清次郎外一八名管理または所有にかかる現金合計約二六六万五、三六〇円及び普通乗用自動車など八三点(時価合計五四万〇九五〇円相当)を窃取し

たものである。

なお、被告人は右各犯行当時心神耗弱の状態にあつたものである。

(証拠の標目)(略)

(累犯前科)

被告人は、(一)昭和四一年一一月二九日、甲府地方裁判所で、窃盗罪により懲役四年に、(二)同四六年八月二〇日、東京地方裁判所八王子支部で、常習累犯窃盗罪により懲役三年に処せられ、いずれも当時((一)の刑は同四五年九月一八日)その刑の執行を受け終つたものであるが、以上の各事実は前科照会書添付の検察事務官作成の前科調書及び判決書謄本三通(常習累犯窃盗被告事件の第一回公判調書中の検察官請求証拠目録(一)の番号14、15、16)によつてこれを認める。

(法令の適用)

第一、第二の各所為につき 刑法二二二条一項、罰金等臨時措置法三条一項一号(各懲役刑選択)、

第三の所為につき 盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律三条、二条、刑法二三五条、

累犯加重につき 同法五九条、五六条一項、五七条(判示第三の罪について同法一四条)、

法律上の減軽につき 同法三九条二項、六八条三号、

併合加重につき 同法四五条前段、四七条本文、但書、一〇条(判示第三の罪の刑に加重)、

未決勾留日数の算入につき 同法二一条、

訴訟費用を負担させないことにつき 刑訴法一八一条一項但書。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人は、本件各犯行当時(昭和四九年九月ころから同五〇年六月ころまでの間)精神分裂病に罹患していたため心神喪失の状態にあつたから無罪である旨主張するもののようであり、前掲武村、大塚両鑑定は、いずれも、被告人は本件各犯行当時、精神医学的には陳旧性の精神分裂病に罹患し、そのため是非を弁識し、その弁識に従つて行動する能力を欠いていた状態にあつた旨述べる。すなわち、

(一)  武村鑑定は、「被告人は、現在疑いもない精神分裂病(妄想型)に罹患していて、おそらく比較的若年に発病したもので、非常に緩慢な経過をとつたものと思われる。被告人は本件犯行当時も現在とほぼ同様の精神分裂病の状態にあつたことは確実である。ただし本件犯行がその精神症状から直接出てきたものか否かは明らかではない。もつとも、その分裂病のための精神異常がまつたく無関係とは思われない。被告人は道徳感情・社会性を全く欠く。このことは被告人に犯罪的行動に対するブレーキを失わせているが、そのそもそもの原因は分裂病に求めうると考える」とし、

(二)  大塚鑑定は、「現在の被告人は精神薄弱(軽愚)の上に宇宙人に関することを中心とした幻覚や荒唐無稽な比較的系統化された誇大的妄想が存在しており、これらの異常体験が今回の拘禁後に急に発症してきたようには思えない。現在意識障害はないし、アルコールやその他の薬物による中毒性精神病、脳器質疾患、梅毒性疾患に罹患や脳器質疾患がない以上、精神分裂病の人格変化と考えたい。」「被告人は(本件犯行)当時も精神分裂病に罹患しており、現在の幻覚妄想の内容及びその性状から考えて、犯行当時も被告人には現在と同様な幻覚や宇宙人に関することを中心とした比較的系統だつた妄想が存在していたと推定される。そのため犯行時に、犯行そのものに関連ある幻覚妄想の存在を全く否定することはできない。しかし、本件犯行は社会常識を無視した独善的な思考、道徳感情の欠如など精神分裂病による人格変化による影響が大きいと考えられる」「被告人は犯行時に精神薄弱(軽愚)に加えて精神分裂病に罹患しており、分裂病にもとづく人格変化と幻覚妄想とがみられたと推定される以上、たとえ異常体験が直接犯行と関連なくとも、精神医学的には理非善悪の弁識とその弁識に従つて行動する能力はなかつたと考えられる。また、このような状態時の犯行は一般にそのようにみなされている」とし、

(三)  加えて、望月証人も右両鑑定書を読み、被告人をみて、右両鑑定書の意見と同一の見解であるとする。

ところで、武村、大塚両鑑定及び両証言及び望月証言は、被告人の当公判廷における供述内容、供述及び在廷態度、証人尋問期日における立会している態度等に徴すれば、被告人の現在症に関する部分に限り、いずれも措信するに値いするものと認められる。これらによると、被告人は、現在、右のように精神分裂病に罹患しているというのであつて、これに反する証拠もないのであるから、当裁判所も右鑑定等のとおり、被告人は現在精神分裂病に罹患しているものと認める(ただし、被告人の知能程度については両鑑定の意見が異なるが、当裁判所は被告人の会話内容やその書いた物から判断すると、武村鑑定のとおり、「正常知能と精神薄弱との中間、境界知程度」であると認める)のを相当とする。しかして、「精神分裂病がたしかに存在するならば病症と行為との間の動機的関連の有無を問わず責任無能力である旨」(グルーレ「精神鑑定」中田修訳昭和三二年版二七頁等)の見解もあるが、精神科医、学者による診断基準の如何を問わず、精神分裂病の類型に諸種あり、その症状にも段階があつて、それによつて人格破壊の態様、程度もおのずから異なり分裂病の力が人を動かしたものでないと考えられる場合もあり得ると思われるから、当裁判所は、「精神分裂病は責任無能力と判定されるのが普通ではあるが、その初期、寛解状態ないしは欠陥治癒の際には疑義の生ずる余地があり、その当時の状態像の如何によつて個々に考察されるべきであろう」(三浦岱栄、塩崎正勝「現代精神医学」昭和三八年版三二九頁等)とする見解を正当と考えるので、なお、被告人の本件犯行当時における責任能力について検討することとする。

前掲証拠によると次の各事情が認められる。

一  被告人の精神症状は、拘禁中においてのみ問題があつたこと

(一) 拘禁中について

被告人は、過去、主として窃盗により六回服役したことがある。第一回目は、昭和二九年二月から同年八月まで水戸刑務所に服役したが、その間被告人の供述によれば病舎に収容されたこともあるようであるも、裏付けが存しないので、その理由及び期間は不明である。第二回目は、同三〇年一〇月から同三三年二月まで長野刑務所で服役したが、その間被告人の供述によれば医療刑務所に収容されたようであるも、被告人の供述のみであるため、その理由及び期間は不明である。第三回目は、同三五年三月から同三六年一一月まで網走刑務所で服役したが、病舎等に収容されたことは全く認められない。第四回目は、同三七年一〇月から同四一年二月まで府中刑務所等で服役したが、その間、同三八年二月から八月までの約六か月間、岡崎医療刑務所に収容された。その際の病名は「自己顕示性精神病質を基盤とした心因反応」であつた。第五回目は、同四一年一一月から同四五年九月まで服役したが、その間の同四二年九月一八日から同四三年九月六日まで「精神分裂病(妄想型)の疑い」で、同四四年七月から同四五年八月一五日まで「精神分裂病(妄想型)」で、それぞれ八王子医療刑務所に収容され、いずれもそのころ軽快のため退所した。第六回目は、同四六年八月から同四九年五月まで服役したが、その間の同四七年六月二八日から同四九年五月二二日まで、精神分裂病の疑いのもとに収容、観察されたが、結局「発揚性を主徴とした精神病質」と診断されて治療を受け、そのころ軽快のため退所したこと、

(二) 拘禁以外の時期について

(1) 被告人は、拘禁以外の時においては、特に異常行動をとつたり、妄想、幻覚、幻聴を訴えたことは認められない。もつとも、被告人は、一七、八才時に、神奈川県の某病院に入院し、三、四年間治療を受けたことがあることや、同二九年ころ、山梨県の自宅に帰つたとき、山角病院に通院したこともあることを鑑定時に供述するも、被告人の実兄窪田四郎の検察官調書によれば、同人及び実姉初子の知る限りでは、被告人が精神病院に入院したこともなく、また入院させることを家族で相談したこともない旨明白に否定していることからすれば、右被告人の発言は信用できない。また、大塚鑑定及び同証言によれば初子が被告人から三億円の犯人を知つているとか、宇宙人の仕業だとか言つていたというが、右四郎の供述調書に照らしていささか疑問もあること、

(2) 本件犯行当時において

被告人の犯行当時における精神状態を知るには、被告人が犯行当時稼働していた先の雇主らの供述、被告人が逃走に際して利用したタクシーの運転手の供述などがあるが、そのいずれをみても、鑑定時における幻覚、妄想に対応する言動を見聞したことは全く認められない。ただ、「ホテルあかね」の岡村正一は、被告人のいうことにまとまりがなかつた旨供述するが、その内容も幻覚、妄想などといつた異常なものではなかつたこと、

二  犯行自体及びその動機原因に異常がなく、犯行が計画的、作為的、巧妙であつて、かつ犯行は妄想、幻覚など被告人の精神異常に起因して惹起されたものとは思われないこと

(一) 窃盗事件について、被告人は、犯行の動機として「当時すでに藤子の件が失敗していたために、自分で真面目になろうという気持より、悪いことでもしてやれというやけな気持になりました」(昭和五〇年六月二四日付司法警察員調書)、「夜になると一人で頭の中に藤子のことを想い出し、もう一度二人の生活を夢見たのです。それには山梨へ行つて藤子を迎え、新たな生活資金もいることになります。このうえは、前から覚えたどろぼうで金を手に入れるほかないと考えるようになりました」(同調書)、「そのうち、こんな車を乗り回せば、藤子を探すのにも都合がよいだろうと考え、車を盗む気になりました」(同五〇年七月一四日付司法警察員調書)と述べるが、このような犯行の動機は通常人においても十分納得のいくものであり、幻覚、妄想とは全く関係のないものであると思われること、もつとも、窃盗事件に関して、被告人は、武村鑑定人に対しては、犯行を殆んど否認し、その理由として「俺がやつたものだつたらはつきりいうよ。宇宙人が一緒にやつたんだ」と述べ、結局否認する。大塚鑑定人に対しては、最初は否認していたものの、同鑑定人の追及で「田代」の命令によるとか、同人に盗んだものを渡したとか弁解するが、さらに追及されて「盗むときは欲しいなと思う」とか「本名を使うときは最初は盗むつもりはない」などと全面的に認めるが、再度、同鑑定人から「今迄よく捕まらなかつたね」と質問されると急に「本当は全部宇宙人の指示でやつているから捕まらない。こうしろと教えてくれるから。人間の能力以上の行動をするから捕まらない。それにMが相手を目隠してしまうから盗める」などと答え否認したりしているのをみれば、追及されて辻褄を合わせるための弁解のようなものであるとも考えられるところ、実際に大塚鑑定は被告人の右供述を無視していること、

(二) 脅迫事件についても、被告人は、過去刑務所に服役中、その処遇に大きな不満を抱き、当局に対し、しばしば改善要求していたことが認められるところ、かかることからすれば、通常人においても本件のような脅迫事件を行なう気持を抱くことも頷けないではないこと、

(三) また窃盗事件についてみれば、最初から盗みを企図して犯行現場に行つたり、美晴館においては偽名で就職し、犯行前に客の依頼もないのに貴重品を帳場から出させようとしたり、巻鶴旅館や紅陽(中華料理店)においては、金のあり場所を見当つけていたりするなど計画的、作為的、巧妙であるし、犯行後も犯行を隠蔽するため細工をし、そして犯行の一部をわざわざ否認(煙草は盗んでいないという)し、犯行の正確性を保つていること、

脅迫事件については、犯行を全面的に否認しているが、その脅迫文の内容に特に異常な点は認められないこと、

三  捜査当時において特に異常は認められなかつたこと

(一) 被告人は、同五〇年六月二三日から同年八月八日までの間、神奈川県小田原警察署に留置され、同署の警察官等によつて取調べを受けたものであるところ、その間、妄想、幻覚、幻聴を訴えるなど異常は認められていないし、被告人は犯行状況についても、その手段、方法等をよく記憶し、正確に供述していたこと、

(二) 被告人は、窃盗事件につき、司法警察員、検察官に対して犯行状況を詳細かつ具体的に供述し、論理的に矛盾はなく、妄想、幻覚、幻聴などの異常は全く認められないし、脅迫事件については自筆の脅迫文を突きつけられても明白に否認していること、

(三) 被告人は、設楽検事宛に五通の上申書を書いているが、その内容は窃盗事件に対する反省と、今後の更生を誓い、そして渡辺藤子の実兄の家に対する器物損壊行為、同人への傷害準備行為の状況の供述に終始し、その文章構成も論理的で、誤字、脱字もないなど、通常人と変つたことは特に認められないこと、

四  被告人の精神分裂病は重症のものではなく、是非善悪の判断能力に異常はないが、その判断に従つて行動する能力(抑止力)に問題があり、本件各犯行と病気との直接的な関連性はなく、かつ拘禁によつて影響を受けた可能性があること、

(一) 被告人の分裂病の程度について

武村鑑定人は、「被告人の場合には、幻覚、妄想が主症状で、思考の分裂や感情意志領域の障害はそれほどでない」「この型の分裂病患者は幻覚、妄想以外に異常が少なく、被告人の如く陳旧性の患者は幻覚、妄想を人前では隠すべきことを心得ているために、一般の人びとがその精神異状に気づかないことも少なくない」(同鑑定)、「(幻覚、妄想)とが安定して自分の症状に対して距離感を保つことができる」「社会生活もある程度可能である」旨(同証言)述べ、大塚鑑定人は、「被告人の場合は、幻覚、妄想などの思考障害が著名なうえに、感情、意欲面の障害から特有な人格変化をきたしているが、著しい自発性欠如はなく、表面的には対人接触も保たれており、感情の表出も保たれているし、精神内界は活発であり、独善的な考えのもとに社会常識を無視しながらも、狭い範囲の中で適応行動をしており、適当に幻覚、妄想を人前で隠すべきことを心得ているし、自閉的な精神荒廃に至つた分裂病とはやや異なる状態を呈している」(同鑑定)と述べているところ、かかることからすると、両鑑定人が、一方では、「被告人は道徳感情・社会性を全く欠く」(武村鑑定)、「精神医学的には理非善悪の弁識とその弁識に従つて行動する能力はなかつたと考えられる」(大塚鑑定)としながらも、他方において、被告人は精神分裂病により、幻覚、妄想によつて人格変化を来たしながらも、その程度は精神荒廃に至つた重症のものとは異なり、狭い範囲内においてではあるが、ある程度社会性を保ち、人格を保つていることを認めているものと思われること、

武村鑑定人は、その鑑定で「被告人が道徳感情、社会性を全く欠く、このことは、被告人に犯罪的行動に対するブレーキを失わせているが、そもそもの原因は分裂病に求めうるものと考える」としながら、証言では「不法性を認識するという点では全く異常なく、その不法性を認識したうえで自分の行動をコントロールする能力、すなわち抑止力にのみ問題がある」と明言し(望月証言も同旨)、その抑止力に欠ける程度については「私達に了解不能な部分を持つているから抑止力の程度については不明だが、問診の結果では著しく悪い状態になつているが、実際行動になると違う可能性もある」旨述べるところ、前段のように被告人はある程度の人格の維持と社会的適応性を有することから考慮すれば、実際の社会生活における被告人の右抑止力の程度もその程度のことは有するのであつて、かなり劣つてはいるが全くないわけではないということに帰着するものと認められること、

(二) 被告人の精神分裂病と本件犯行との関連性について、武村鑑定人は「本件犯行がその精神症状から直接出てきたものであるか否かは明らかでない」「被告人が陳旧性の分裂病患者である」ことから「被告人は本件犯行時も現在とほぼ同様の精神分裂病の状態にあつた」「その分裂病のため精神異常がまつたく無関係とは思われない」とし(同鑑定)、大塚鑑定人は「被告人は幻覚、妄想に基づいて犯行がなされたような供述を鑑定人に述べることもあるが、客観的にみた場合には窃盗事件については生活と遊興費の必要なため、金品窃取の目的で行なわれたものと考える」と述べ、その理由として、被告人が本件窃盗事件について犯行の動機、犯行状況を詳細に供述していることやその手段、方法が前述のとおり計画的、作為的で巧妙であることをあげるも、被告人が陳旧性の精神分裂病者であることから、犯行当時も現在と同様な幻覚や宇宙人に関することを中心とした妄想が存在していたと推定されるので、「犯行そのものに関連のある幻覚、妄想の存在を全く否定することはできない」とし(同鑑定)、ともに犯行と病症とが間接的に関連性のありうることを認めているところ、これは両鑑定人が被告人は陳旧性の精神分裂病に罹患してい、本件犯行当時も現在と同様な病症であつたとの鑑定結果から導かれるものとして首肯できないわけではないが、前記二項で述べたところから考えると、いずれも現実的な根拠に乏しいもののように思われるし、かつ、両鑑定も犯行と病症とが直接関連していたことを積極的に認めたものとも思われないこと、

(三) また、武村証言は、被告人の場合、拘禁によつて病状が悪化する可能性のあることを認めているし、かつ、「被告人の長い精神分裂病の経過の中で波があり、ある程度よくなつたり、悪くなつたりすることは推定される」とするところ、被告人は、拘禁中以外の時は、前述のとおり幻覚、妄想を訴えていないことは、拘禁が、被告人の症状に影響し、症状を進行させた可能性のあることを推定させること。

以上のとおり、被告人は、現在(拘禁中)、精神分裂病に罹患しているも、是非善悪の判断能力に異常はなく、その判断に従つて行動する能力(抑止力)に異常があるが、その症状は重度のものではなく、かなりな程度の社会的不関性、道徳感情の鈍麻を招来しながらも、狭い範囲内ではあるがある程度人格を保ち、社会的適応性もあること、本件犯行の直近時における昭和四七年六月二八日から同四九年五月二二日までの長期間、城野医療刑務所でわざわざ精神分裂病の疑いの観点から観察した結果、結局精神分裂病ではなく「発揚性を主徴とした精神病質」と診断されたこと、そしてその治療を受けて軽快のため退所したこと、被告人の場合拘禁によつて症状が進行する可能性があるところ、本件犯行当時及びその前後(捜査当時も含めて)ころを通じ、特に公判、鑑定時におけるような幻覚、妄想などを訴えた形跡が認められないのであるが、如何に被告人が自己の精神症状を人前で隠すべきことを心得ているとしても、その現在症から推して考えて、あまりにも幻覚、妄想などを訴えた形跡がなさすぎることからすると、今回の拘禁によつて症状がかなり進行したものと考えざるを得ないこと、従つて今回の拘禁直前ころにおける城野医療刑務所の右診断が存在するにかかわらず、昭和四四、五年ころ精神分裂病の診断を受けたりしたことなどから本件犯行当時も前記両鑑定のいうとおり精神分裂病に罹患していたと認めるのが相当であるとしても、その症状は現在よりもつと軽度であつたと思われること、本件各犯行自体に特に異常は認められず、その動機も通常人において納得でき、犯行の手段、方法が計画的、作為的でかつ巧妙であり、犯行後は速かに現場から逃走していること、犯行が分裂病による妄想、幻覚などに起因するものとも認められないこと、脅迫事件については犯行を否認するがこれは被告人が犯行の不法性を認識し、処罰を免がれるためのものではないかと思われること、窃盗事件については犯行の動機、手段、方法について正確に記憶し、具体的詳細に供述し、反省の態度を表わし更生を誓つていること、被告人の本件各犯行は、その同種の前科内容等から推して考えると、精神分裂病による抑止力欠如による犯行というより、頻回累犯者としての過去の犯罪習癖の顕現としての違法性の意識の鈍麻の結果であるという一面のあることも否定し得ないこと(同種犯罪の頻回累犯者にその種犯罪に対する抑止力を期待することは困難である)などの諸事情を総合すると、被告人は本件各犯行当時軽度の精神分裂病に罹患していたところ、事物の理非善悪を弁識する能力に異常はなかつたが、右病気のため、かなりな程度の社会的不関性や道徳感情の鈍麻を招来し、この弁識に従つて行動する能力(抑止力)が著しく減退した状態、すなわち心神耗弱の状態にあつたものと認めるのが相当である。よつて弁護人の右主張は採用しない。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 池田久次)

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